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STANFORD GSB留学記
西海岸のエスタブリッシュメントの中で過ごし得る知見や身の回りで起こる出来事を読者と共有していきたい。授業内容、クラブ活動、シリコンバレーのコミュニティー、等盛り沢山の内容を掲載します。
コンサバ VS チャレンジング
元上司で、現在は丸紅の新技術・再生可能エネルギー部で活躍しているN部長と会食をした。最後の贅沢を聞いてもらい、帝国ホテル最上階の鉄板焼 嘉門で肉とワインを堪能させてもらった。僕がパロアルトに行くことを考慮してくれてナパバリー産の2004年メルローを選んでくれた。柔らかいがパンチの有るすばらしいワインだった。

N部長との一番の思い出は、入社3年目の時に先輩のO氏と3人でブルネイ国のマーケティングを展開した事だ。当時の営業部長からは”ブルネイに何遊びに行っているのだ?あんなところでビジネスをとれるはずがない。地の利がある市場で稼げ。”と言われる境遇だった。N部長(当時は課長)は、そのような境遇で、僕たち担当者には引き続きブルネイ市場に注力しろとの指示だった。あの指揮が無ければ、現状のブルネイでの丸紅のプレゼンスはゼロであろう。

N部長は赤門の理系大学院出身で、大手重電機メーカーでタービン設計として約10年勤めて、丸紅へ転職してきた。30台前半でのキャリア・チェンジである。故に技術畑で育ち商社マンとしての商売の勘も装備している特異な方である。丸紅にジョインした後は他の人が出来ない、もしくは手を出せない新規市場開拓、新技術への投資、CDMを利用したビジネス構築等を手がけてビジネスを軌道にのせている。

N部長の尊敬すべき点は、”先見の目”を持ち中長期的な事業に携わり、持前の情報力で市場の需要を読み取り、それに対して注力して最後まで諦めない姿勢である。

会社の中で経営するポジションとなれば、新し事へ挑戦はリスキーである。短期での業績が自分の評価に繋がり給与の額に影響し、出世にも影響する。故に、結果がある程度やる前から見える昔ながらのビジネスフレームに固執し新規に手を出さない傾向がある。

これは大企業に多くみられる現象だ。確かに周りを見渡すと年配になってポジションが高くなると”守り”に入りコンサバな手法でのビジネスとなる傾向は見受けられる。

思えば、ブルネイ市場へ新規で乗り込んだ際にもN部長が社内で戦ってくれたから僕ら担当者は思い切って現地でのマーケティングを行え、結果を残せた。


帰り際にN部長が言ってくれた。


君が会社を辞める事を聞いた時は非常に残念だった。君が描いているゴールを考えれば、同じ部隊で、是非とも一緒にNEW TECHNOLOGYやRENEWABLE ENERGYをやりたかった。但し、入社当時から君がいつかは会社から飛び出す輩である事も察知していた。これから留学は大変だろうし、その後に描いているゴールに辿り着くのも大変だと思う。君が思うように事が進むことを祈る。

経営者としての決断をする際には色々なポジションの人間の視点を考えて行ってほしい。つまりディベートであれば対局の人間の視点を持って勝負し、組織としての決断は現場の生の声を忘れないで欲しい事だ。

僕らの部隊は他の商社のビジネス形態と違い、現場に張り付き色々なリスクを取り、それをマネージして付加価値をつけてきた。非常に泥臭い面倒臭い事をやってきた。それ故に差別化が図れた。この貴重な経験は忘れずにいてほしい。ビジネスは、現場がうまくいってナンボの世界。故に、状況を理解して如何に直接の部下もしくは従業員全員が働きやすい環境を作るか、忘れないでほしい。経営者となると忘れがちとなるので。。。


いつか又、N部長とは一緒に仕事をやりたいと思う。又、色々と教わり吸収したいと思う。

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日本はどう報じられているか
日本はどう報じられているか (新潮新書) 日本はどう報じられているか (新潮新書)
石澤 靖治 (2004/01)
新潮社

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”ジャパン・バッシング”や”日本異質論”は昔の事。空白の10年を経た後の日本の経済や政治に対してどのように海外の人々が見ているのかを海外のメディアに詳しい日本人が寄せ集めて書いている。所要時間は3時間ほどでした。

メディアの報道をどこまで信じるのか、とのフィルターは外して読んで問題ないと思う。実際に海外で書かれている事が纏めて書かれているだけなので。

イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、アラブ社会、中国、韓国それぞれの国や地域の日本に対する見方の集大成である。自分が理解しているドイツにとっての日本、アメリカにとっての日本がずれている事を認識した。仕事上での付き合いもあるので分かっているつもりだったがまだまだ自分として相手に期待している甘えがある。一方で、韓国に親近感を感じた。共同で行ったスポーツ祭典”ワールドカップ”は実をなしているようである。

この前、入社当時の課長さんに2人だけで食事に誘われた。六本木の炉端焼きの有名店である。素材が高級なので値は張るらしいが民芸館のような座敷に焼方が2人座り刺身以外の料理を炙り巨大なへらを使って客にサーブする。来ている客の8割は外人。接待も多い。と言っても仕切りが無いしお店の人が超体育会乗りで大声で叫んでいるので秘密話は出来ない。リピータが多いらしく僕らの客もそうらしい。

日本からの発信が正確に伝わっていなかったり、発信が少なかったり、発信しているのにキャッチされていなかったり色々有ると思う。ビジネススクールでも日本人の比率は少なくなっている。ケース・スタディも日本企業は減っているとも聞いた。

上記の炉端焼き屋の例もそうだが、日本に実際に来て、その人の日本像がガラリと変わり日本のファンになってしまう外人は多い。昨日まで僕の席の横には日本に10年近く滞在しているオーストラリア人がいた。猛烈日本ファンの一例だろう。トイレの”ウォシュレット”に感動してハイテク日本を再認識する人、東京がNYCよりハイテク都市である事を確信して帰国するアメリカ人などである。

伝達する方法、手段は選ばないのでグローバルな社会の中での日本への認識が良くなってくれればと望む。”金持ちでブランド好きの良いお客さん”では終わって欲しくない。その為にも、我々日本人として発信し続けなければならない。又は向こうから日本に来させるのだ。

ソフトパワーは日本の強みだが限界はある。このパワーの魅力は十分承知していると思うが外向きへの働きかけにも磨きを掛ける必要は有ると思う。そうすれば更に投資が増えるかもしれないし、日本の輸出量もジャンプするであろう。








教育ビジネス
自分の子供の将来を見据えて”教育”というものに興味を持っている。数ヶ月前から子供教育に限らず、社会人に対する自己啓発支援、会社に対する研修、関係省庁への教育システムの提示など手広く行っている知人の会社のサポートを無償で行っている。

そもそも知人が言っていた”今の若い子供の教育をするのであれば、まずはその子の親の教育から始める”との思想に感化されてサポートを喜んで受けた。自分は日本でも指折りの最高の教育を受けられる環境にあった。その自分が享受した教育がドラスティックに変貌している世界に一致していると思っていない。そんな状況で”ゆとり教育”とか不思議な方向に教育方針が進んでおり、周囲の人に聞いても決して成功はしていない。

昨日も、その会社の取締役の方と共に東京株式市場一部上場の人事部の方々との一席が設けられた。景気が良くなり社内教育に使えるお金が以前に比べて潤沢らしい。課題は、如何にして会社組織を更に利益を生む、もしくは価値を生む母体としていくか、そしてその中に居る社員を如何に育てていくかである。すばらしいアジェンダである。

営業畑一筋でサラリーマンをやってきた自分としては管理部門の視点と営業部隊の視点にギャップを感じざるを得なかった。双方、根本的に望んでいるゴールはほぼ一致している。但し、そのゴールに達するまでの過程もしくは手段にギャップがある。ゴールが短期的なのか中・長期的なのかの時間軸がずれてもいる。会社全体をカバーするシステム自身にも修正すべき点はあるのだと思う。

TRANSITIONの際には多くのものが衝突しあう。制度、組織、人やらである。どちらが生き残るかはCASE BY CASEであるが、如何に円滑に効率良く道標的なサービスが提供出来るかを知人がやろうとしており、それが使命と感じている。

日本が持っている技術、日本人の勤勉性は、他国もしくは他民族と比較して立派だと個人的に思っている。又、現状今日の日本の立場は、安心できない状況である事も理解している。

現状の為替を考慮すれば、いかに儲けていようとも、外貨ベースでの購買能力が伸びていないのは明確である。(現状)天然資源が豊富でない日本国においては深刻であるはずだ。又、グローバルの目からみて日本の株価が上昇しているか否かも疑問である。先日、従兄弟が儲けたお金で家族皆んなでハワイで豪遊すると言っていた。おそらくUSドルに換金した際に目を疑うであろう。

日本の社会ではEXPRESSIONの能力が欠ける。それは美意識のずれを考えても理解できる。”行間を読め”が罷り通っていた社会である。相手が日本人ならば絶妙な会話が出来るだろうが、日本人を知らない海外の人には分かるはずが無い。時間を掛けても無理がある。又、好景気との認識により、組織やビジネスマンは内向き思考となりEXPLOREせず、EXCHANGEもせずに状況認識に誤りを生じる。

今の好景気に安心せず、好景気の波が通り過ぎた際にどのように業績を維持もしくは向上させていけるか、その為には何をするか考える必要がある。

人事部の若手の方が言っていた。数年前の話で、景気が良くなりマネージャークラスの営業の人不足となり、幹部の方から何故今迄そのようなマネージャーを育てるようなプログラムが今迄社内に無かったんだと。目の前の数字を追いかける事に躍起となり余裕が無かった事は明白である。先を見越しての犠牲と言うか計画というか、それが必要なのだ。それが”出来なかった”のではなく”出来るシステムを作ってなかった。出来る人繰りを行っていなかった”のである。

いずれにせよ、社内に居れば見えない事をプロフェッショナルな利害関係が無い方に診てもらい、その会社にとっての方針・制度のアドバイスをしてもらうのはマイナスに働きそうにはないようだ。

得るものが大きいので、余裕のある限りサポートしていこうと思う。




サラリーマン最終日
7月27日金曜日 とうとう、この日が来てしまった。分かっていたのだが先早に月日が過ぎていった。後戻りは出来ない。前に進むのみ。

朝も早く目が覚め、会社にも早く着いた。今日は今迄お世話になった人に挨拶しなければならない。

入社当時に電力部隊へ引っ張ってくれた関山専務への挨拶したが僕が退職することは全く知らなかったようだ。確かに次期社長候補ともなれば社員一人一人迄気に掛ける事は不可能だ。僕の留学には以前よりサポーティブだったので”これから退職を撤回しろ”とまで言って頂いたが僕自身も納得して退職としている事をやむやむ理解してもらった。必要とされる社員であったのだと実感しうれしかった。

おそらく計200人近く挨拶しただろう。部門の人、プロジェクトを通してお世話になった他部門の方々、駐在地が一緒だった方々、出張先で知り合った他部門の方々、そして同期の精鋭達。ほとんどの人と強く長い握手を交わした。みんな応援してくれた。

18時に会社を出た。最後まで面倒を見てもらった電力部門を支えるエンジニアリング会社を最後にした。予想外の出来事も待ち受けていた。エンジニアリング会社の皆んなからの寄せ書き、そして餞別を頂いた。入社当時から僕をかわいがってくれた神田さんとも熱い握手を交わした。

本当に幸せな男だと思う。サラリーマン人生いつかは退職する。その時に、その会社が好きで、やっていた仕事が好きで、周りで一緒に仕事をやっている人が好きで、そのタイミングで退職できた。そして次へのゴールに向かい向かっていける。

サラリーマンである限り”退職”は早かれ遅かれ誰もが少なくとも1回はする。終身雇用制度が常識である日本社会においては1回の方はマジョリティだと思う。但し、日本古来の組織体制である年功序列やら、給与に響くが評価基準が明確でない評価制度、又、知人同士死肉な争いをも可能とする出世欲やらエゴといった悪態が必ずしも幸せだけを生まない要素であるのは確かだ。

これから組織論、リーダーシップ論等を過去の事例をベースに勉強するし論理的にも勉強する。経営において人は資産である。つまり人は、”人材”ではなく”人財”なのである。もし、自分が組織を作ったならば、RESIGNATIONであろうとRETIREMENTであろうと温かく一緒に働いてくれた人達を見送りたい。そして、その送られる人自身が”将来自分が出世して温かく送ってくれた方々に何らかの形で還元したい”と思わせる環境を作りたい。それが人として当たり前の姿でありビジネス世界は違うなんて僕は嘘であると信じたい。

そんな環境を作ってくれた周りの人々に感謝したい。そして、12年間我武者羅に頑張った自分も少しは褒めてあげたい。










すばらしき同期達
昨日は会社の同期の人々に祝ってもらった。良く飲み、よく食べ、よく語った会で非常に楽しいひと時を過ごせた。

仕事に時間が奪われている商社マンばかりであり、結婚式か駐在決定時の歓送会か退社の送別会しか会える機会が無い。そんな忙しい中、沢山の同期が参加してくれた。後々簡単に参加者の紹介をします。

1995年入社の仲間達である。入社年は、バブルが弾けて、就職氷河期と言われていた時代である。1年上の先輩達は計200人近く採用されていたが、我々の年は、その半分に採用が激変。かなり就職活動は大変だったようだ。東大卒の女性2名、米国大学卒業の帰国子女1名を含めて日本人本社社員採用は96人だった。


参加者の簡単な紹介をさせてもらいます。


幹事の松原祐二。同じ電力部隊で頑張っている。入社当時、機械部門には確か23人配属されたのだが、1名だけ丸紅の九州会社へ異動となった。他の同期は全て東京勤務であり孤独となる事に対して悲観的であったが、しっかりと九州の美女を嫁さんにして2000年に東京本社に笑顔で帰ってきた。

和製アンディガルシアのような加藤真男。同じ機械部門として配属された。営業を希望していたが入社時の配属は総括部だった。今はバリバリ営業をやっているらしい。米国人に受けるジョークも伝授された。是非とも使ってみようと思う(笑)

丸紅を退社して再就職した松井伸太郎。やはり総合商社の魅力は凄いみたいだ。会社の外に出て そのすばらしさを再認識して丸紅に舞い戻り頑張っている。

会社のスキー部で一緒だった中澤英明。入社当時からフットワークがよく新潟の長岡に配属されている際も同期の飲み会やスキー部の飲み会には必ず参加していた。しかも定刻に必ず来ていた。丸紅の人が好きなんだと思う。同期の中では唯一明治大学出身。熾烈な就職戦線を勝ち抜いた逸材である。

わが同期一のお笑いタレントの菊野成光。入社時のサッポロビール工場見学の際に行ったコントではサッポロビール社員を圧倒した。商社マン、掴みが大切♪このとき学習した。僕が会社を辞める事を連絡した際に”会社を辞めなくても留学には行ける。辞めるな!”と親切にメールをくれた。笑いが取れるのは人間が良く分かっているからだ。菊ちゃんの優しさを再認識した。

登山仲間の福西浩一。金曜の夜行列車に乗り北アルプス登山、東京一高い山雲取山登山、星空を見ながら茶臼岳近くの天然温泉を楽しんだりした。又、香港駐在時代に遊びに来てくれたし、僕が2000年の国慶節の時期にヨーロッパ旅行した際には、パリの夜を楽しんだ。同期の中でも仕事以外の思い出が多い。

香港駐在時代に共に駐在していた川島浩二。中国語が流暢で非常に刺激があった。駐在時代には無茶苦茶な生活を送っていた僕に安らぎをくれた。わがままも沢山聞いてもらった。

原印刷株式会社の御曹司である原竜也。数年前に会社を辞めて家業を継ぐようである。マレーシア出張時には、長期出張で疲れ気味の僕に渇を入れてくれた。既に自分の会社の経営陣になっているエリートな実績、是非とも見習いたい。

磯茂宗。学生時代に志賀高原のスキースクールで一緒にインストラクターをやっていた。かなり体調が悪いにも拘らず駆けつけてくれた。インドネシア駐在時には色々な伝説をつくった輩であるらしい。

尾上幸児。カタールにてLNG開発を入社当時から行っており、現在はカタール駐在員。エネルギー市場が熱いだけに、会社の中でも花形の部署である。入社当時は老いる価格が1バレル10ドル程度だったとの話には驚いた。この12年くらいで7倍近くに跳ね上がっている。為替の当時の円高傾向を考えると、きっと素晴らしい投資回収率だろう。

八木周。社費でカーネギーメロン大学へMBA留学して丸紅子会社の社長を務めたが、今は退社してベンチャー企業で働いている。MBA留学に際して色々と指導してもらった。


かなり話が盛り上がった。入社当時の滅茶苦茶な生活を送っていた頃の楽しく危ない話。誰が今どこで何をやっているのかのアップデート。ニューヨークに同期が5人駐在員として頑張っている事実。話は尽きる事無く3時間以上に及んだ。

同期の大切さ、貴重さを再確認する会であった。学生から社会人になる過程で隠し事無く悩みを打ち明けられるのは同期だった。同期って本当に貴重な財産である。100人居ないし、社会人として共に成長し、思想を共有し、色々な秘密も共有した。

これからもこの関係は続く。永遠である。丸紅に残る同期には丸紅で更に活躍してもらいたい。僕が出来ることは何でもするつもりだ。そこに、損得勘定なんて全く無い。だって同期だもん。




会社の方との送別会を振り返って
出会いは別れの始まりであると学生時代に誰かから聞いた。この言葉は非常に重かった。人生の儚さを学生ながらに感じていた。しかし、長年何かに慣れ親しんでいると、その人や仕事や団体との関係が永遠の様に感じるものである。

使い慣れている携帯電話を紛失した際、通い続けたレストランが突然閉店となった際、長年付き合っている人に他界される時、いつも儚さを感じた。心の中では関係が絶たれることは期待していないし、永遠であって欲しいと望むからである。

昨晩は会社の方に送別会を開いてもらい楽しい時間を過ごした。最近、飲みニケーションが皆無に近く、久びりの会食が自分のお別れの会食となってしまった。会社を既にやめた先輩も駆けつけてくれた。昔を懐かしく語り、自分が確実に成長した事も確認できた。皆さんが温かい言葉を掛けてくれてうれしかった。とても楽しい時間があっと言う間に過ぎ去った。

12年4ヶ月と長い期間、丸紅の為に時間を売り働いた。誰もが出来ない貴重な経験を誰もが出来ないレベルでやらせてもらった。4年目の春からは香港駐在員も経験させてもらった。アジア諸国は殆ど出張し人的ネットワークも広がった。日の丸を背負い国際社会で活躍できる商人に育ててもらった。

思い起こせば1994年の夏、丸紅から内定をもらった際は滅茶苦茶うれしかった。

幼い頃より飛行機が好きで世界を飛び回る事が出来る仕事に憧れがあり商社限定で就職活動した。発展途上国へのインフラ整備に憧れがあり(おそらく、学生時代のボーイスカウト活動から仕事をボランティア的に捉えていたのだと思う。)丸紅の電力部隊が商社の中でNo.1である事を聞いて、ひたすら人事部に”丸紅で電力事業をやりたい”をアピールした。”電力に配属されなかったら丸紅を辞める”とまで言っていた。今思えば恐ろしい学生だった。全くと言って無謀な学生である。。。しかしながら、ラッキーな事に電力事業に配属されワクワクな毎日だった。厳しい仕事環境に置かれながら、同期が毎日合コンに明け暮れている時にひたすらビジネススキルを磨いた。時間的、体力的に非常に辛かったが苦しさを楽しめるように頑張った。

その会社から旅立つ瞬間が刻一刻とせまっている。自分の家よりも長く居て、自分の家族よりも多く話している人たちが居るこの環境にサヨナラである。

自分の人生で組織に入ったり離れたりする機会は少ないと思う。特に、社会人になるとある程度生活が固定される。

今まで育ててくれた方々に泥を塗るような事をしないように、学んだ事をフルに活用し、そして自分が掲げた野望を達成する為に頑張る。そろそろ仕事も忘れて野望に向けてフル回転しなければ。。。好きな本も沢山読もう♪


2007年7月24日 初夏(梅雨は明けていない)



ハーバードMBA留学記
ハーバードMBA留学記 資本主義の士官学校にて ハーバードMBA留学記 資本主義の士官学校にて
岩瀬 大輔 (2006/11/16)
日経BP社

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東京大学法学部在籍中に司法試験合格。ハーバード・ビジネススクール(HBS)をHigh Distinction(上位成績5%)の優秀生として卒業。現在はネットライフ企画株式会社の取締役副社長を務めている。今年31歳とまだ若い。

この本を知ったのは、5月に行われた”MBA友の会”で岩瀬さんの講演を聞いた際である。当日はGEの藤森さんと岩瀬さん2人の豪華ゲスト講演であった。

2006年にHBSを卒業するまで忙しいときでもひたすら毎日ブログを書いたらしい。(URL:http://hbslife.exblog.jp/)このブログのエッセンスがこの本に凝縮されている。海外から日本のシステム、日本人、日本の歴史、日本のビジネス、日本の文化等色々な題材で楽しませてくれる。流石に頭脳明晰な方であるので、書いている文章も読みやすい。下手に難しい言葉など使っていない。ビジネスをまったく分らない人でもビジネススクール疑似体験が可能である本である。

本って凄いと思う。2,000円も出さないで、こんな素晴らしい疑似体験が出来てしまう。しかも、HBSのHigh Distinctionと同じ視点での体験である。

岩瀬さん、ありがとう。
アツイ コトバ
アツイコトバ アツイコトバ
杉村 太郎 (2004/11)
中経出版

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著者の杉本太郎さんは、ハーバード大学のケネディスクールのMPA(Master of Public Administration)を取得しており、現在、就職活動に挑む学生、留学・転職・独立を志す社会人にコーチングを通して支援を行っている。設立した関連会社も多い熱い企業家である。

と言ってもピンとこない。そう、”パッパヤッパタラーララン パッパヤッパドドードドン 私の彼は銀行の男 パヤツパー♪”の歌詞で始まる”私の彼はサラリーマン”で御馴染のシャインズの一員だ。

バブルに踊る世相を反映した歌としてもてはやされ小ヒットした。当時僕は高校三年生だったが、出身大学が慶応義塾大学理工学部と同門であることもあり身近に感じていた。

とにかく多彩な方だ。この本の中に書いてあることも熱い。正直、1時間で読破できる内容であるが多くの”熱い言葉”の中から自分の境遇にあった言葉を数個探せれば費用対効果抜群の本だと思う。ちなみに定価は952円(税別)とお買い得である。

日頃の仕事や生活がマンネリ化している人に喝をいれるには抜群な効果ありである。

John F. Kennedy School
ハーバード・ケネディスクールでは、何をどう教えているか ハーバード・ケネディスクールでは、何をどう教えているか
杉村 太郎、丸田 昭輝 他 (2004/12)
英治出版

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会社の先輩で、且つ留学準備予備校で門下生として共通する点を持っている方である渡辺和成さんが執筆を一部担当している本であり、興味があって購入した。

自分の将来の中長期的なゴールが環境ビジネスでの起業である事を渡辺先輩に述べたところ、ケネディスクールを紹介された。

公共政策大学院の設立構想は日本では未だ発展途上の段階であり(東京大学と東北大学が設立を決めたらしい)具体的なイメージを抱くのが日本人にとってはあいまいであるが、この本を熟読すれば実像を掴むことができる。

僕の周りにも大学院に行っても机上の空論で終わるから実戦で鍛えた方がよい、との方は多い。この大学院でも”知識はあくまでも現実世界に適用するために、もしくは現実世界をより良くする為に身につけるものだ”との強固な信念がある様である。

環境学の著名な研究者でありケネディスクールの教授でもあるウィリアム・クラーク教授の言葉で"idealistic about science and pragmatic about politics"との言葉が非常に心に響いた。つまり、科学的理想主義、政治的現実主義である。環境政策は科学的に有効であり同時に全当事者が受け入れられる現実性が要求されるとのことである。当り前のことであるが言うのに勇気がいる言葉である。

渡辺先輩の言葉を引用する。”ビジネスマンがビジネスだけを学べばよい時代は終わった。規制が特徴的な産業や公共投資が重要な業界において、同政府と対処していくのか。。。。”

もっともである。僕が1999年から香港に駐在して事業会社の出資者としてプロジェクト開発を行っていた総額1,200億円の台山石炭火力プロジェクトは、最終的に利権を中国の有力企業に売却して終わった。大きな要因は中国中央政府の規制の変更である。僕が会社人生で一番”規制”と“ビジネス”の密接な関係を感じた瞬間であった。

先日、国際基督大学の八代尚宏教授の講義を受けた際も、その密接さを強調していた。

人が規制を作る。完全な答えはなく時代の流れによって規制も変化すべきである。規制の緩和、強化を行う際にコンサバな人や利権を保有する人は反対するだろう。どの様にして、変化をハーモナイズさせるかは非常に力を要することであろう。
最後の出張
例によってブルネイ・ダラッサラーム国のプロジェクトで出張。

7月15日の日曜日の早朝便でシンガポール経由ブルネイ行きだった。台風の影響で大幅に成田空港到着が遅れ、JALのカウンターではビジネスクラス満席との事。だがラッキーな事にファーストへの無料アップグレードを獲得。機内では大好きな焼酎”兼八”をロックで数杯頂いた。前回の出張時もシンガポールからの帰国便は無料アップグレード。どうもラッキー続きで気持ち悪い。誰か後ろで退職前の僕を驚かせようとアレンジしているような気もした。

ブルネイへは夜中の1時に到着。いつも普通に会っている人も場所も違って見える。これで最後だとの気持ちがそうさせているのだろう。

この国は色々な思い出がある。思い返せば、1997年秋のクアラルンプルで開催されたエネルギーコンファレンス。偶々、横に座った人がブルネイ電力局の局長さんでブルネイの存在を初めて知った。話し込んだ結果、来年、国家発電プロジェクトの国際入札があるから参加しなさいとの局長の言葉。僕のブルネイとの付き合いが始まった。

社内でも、殆ど知られていない国。上司には”数十年前にブルネイ国の発電所建設の入札に参加したが何も分からないままに他社に落札された。そんな国のプロジェクトをやっても無駄だろう”と言う人さえ居た。

しかし、当時の課長と大先輩の太田氏の3人で表敬訪問から開始した。金持ちの国なので、ブルネイで手に入らない珍しいものを持っていこうと銀座の果物屋で購入した高級な桃やメロンを御土産として持参したりもした。出張を重ね、我が社のみならずパートナーに選んだ日立のプレゼンテーションを行い、客先との良好な関係を構築し、我々のプレゼンスも理解させ、入札では見事”一番札”を取り、2000年に約120億円のガドン発電所を受注した。正直、社内の反対派勢力に対して”受注”の報告は気持ちが良かった。

2000年冬に現在建設中のトゥートン発電所の国際入札発表があり連続受注をモットーとして注力。7社が応札したが、結局、安価でオッファーが可能であるインド企業との一騎打ちであった。このクラスでは世界一の効率を誇る米国General Electric社(エジソンが創業者である時価総額世界トップクラスのコングロマリット)と協調して2001年6月に応札。中長期的な経済効果を盾にインド企業を撃沈させた。撃沈まで約2年の月日を要するしんどく且つ熾烈な戦いであった。

日頃昼飯を食べるキャンティーン、友人と時々飲みに行く隠れバー(イスラム原理主義の国なのでお酒はタブー)、宿泊ホテルから現場までの高速道路、現場の数百人のスタッフの完全に日焼けした顔、どれをとっても しばらくは御無沙汰になってしまう。ボロボロになるまで読みこんだ契約書、毎日の様に提出しているレターの山、どれもに自分の魂が入り込んでおり思いで深いものである。

今回の出張で300以上ある懸案事項のセトルを行ないクタクタとなり、感情に浸る時間も少なく済んだのは幸いであった。

プロジェクトは客先の理由により当初の予定より6ヶ月の延長。プラント完成は今年末となる。来年始めには、今建設中であるブルネイ最大級のプラントが完成し電力供給量も大幅に増える。

三菱重工が建設中であるメタノールプラントへの電力供給も心配無くなる。日本人が建設したブルネイ初の複合火力発電所で発電された電気が、日本企業が出資して建設するブルネイ初のメタノールプラントへ供給される。沢山の”日の丸”日本代表 がブルネイで頑張っている。

留学を終えてアジアに戻ってくる僕にとってブルネイに立ち寄る事は容易な事である。飛行機で飛び夜空から見るブルネイの町並みがより一層輝いている事を願い、ブルネイに”さよなら”を言った。何か胸の奥の方から込み上げて来るものがあった。

きっと、この国を愛していたのだと思う。だから、ここまで頑張れたのだと思う。この気持ちを忘れないように更に飛躍しようと思う。


2007年夏 人生の1ページにすばらしい思い出が残った。


ブルネイ・ダラッサラーム国
国の広さは千葉県とほぼ同じ。その殆どは熱帯雨林の森林に覆われている。故に人口は30万人程度と少ない。(国土が淡路島程度しかないシンガポールの10分の1の人口だ)

ガス・オイルによるマネーで成り立っている国である。最近、伊藤忠が三菱ガス化学とブルネイ国に合弁会社を設立し、年産85万トンの約4億米ドルのメタノール事業を行う予定だと報道があったが、それ以外の工業は皆無と言ってよい。ちなみに、日本企業ではLNG事業で三菱商事、建設業で飛島建設、発電所建設で丸紅がブルネイにて活躍している。

王国であるので王様が絶対的な力を持っている。昨日61歳の誕生日を迎えて街中は歓迎モードである。東南アジア独特の緑・赤・黄色等の電気で夜はピカピカである。

金持ち過ぎて感覚がおかしい部分も否めない。米国のディズニーランドを訪問した際に1日貸切をディズニーに申し出たが”ディズニーランドはみんなのものであり、王様といえども貸切は無理”との回答に頭にきて自分の国に入場料無料の巨大遊園地(ジュルドンパーク:既に昨年全てのファシリティーが撤去された)を建設したり、そのテーマパークに毎年有名人(マライアキャリー、マイケルジャクソン、ホイットニーヒューストン等)を招待して相当なキャッシュを持たせて帰らせたり。。。王様の武勇伝は後を絶たない。

王様の兄弟であるジェフリ・ボルキア王子も負けておらず、5ツ星ホテル(世界に2つしかない7ツ星ホテルの1つとも数えられる)1998年7月に倒産したアメデオ社の元で建設されたホテルだ。採算を全く考えずに建設された超豪華ホテルが故に、訪れた人を全てを虜にする。(URL:http://www.theempirehotel.com/) 何と言っても凄いのはメインロビーは殆どがガラス張りである。中型地震が起きれば間違えなく一発でアウトの建造物である。

ホテル完成当時に大蔵大臣だったジェフリ王子は、無駄遣いが過ぎて国外追放となってしまい今は行方をくらましている。


ふと思った。何故この世の中でオイル・ガスにて儲けている国はイスラム圏が多いのだろうか。。。彼らはオイル・ガスの可能性をかなりの昔から知っていたのだろうか?


メイン・ロビーが入っているビルの外観



メイン・ロビーの天井

プレッシャー管理のセオリー
海外で活躍する同年代の人は、僕にとっても非常に励みとなる。つい最近うれしかったニュースはシアトル・マリナーズのイチロー選手がオールスター戦でMVPを取った事、及び彼が生涯マリナーズ宣言をした事だ。

イチローの活躍で思い出した。数年前に心理ストラジストでNHKテレビにも出ていた高杉尚孝氏が言っていた言葉を思い出した。

仕事で成果を出せずに真面目なサラリーマンが潰れて精神的に不安定となる傾向が日本では多く、それを如何に管理するかの講義を受けた際の出来事だ。

上記のセオリーを日本人メジャーリーがに例えて言っていた。

高杉先生いわく、イチローは自分に非常に強いプレッシャーをかけて成長するタイプであり、一方で、松井(秀)は義務の発生しないターゲットを作りプレッシャーを感じずにリラックスした状況下で成長していくタイプだと。

確かに、イチローは常に厳しく自分を評価する。目標を掲げるときも目標となる数値を確りと持ってそれに向かいひたすらやり続ける。一方で松井は”~出来たら良いなぁ”とか”~したい”とか願望的な目標であり、イチローの様に”こうあるべき”な発言は無いという。確かにこれは納得できる。

前者(イチロー)の様なアプローチは会社の中で成果を出せずに潰れてしまう人間が多いらしく、後者(松井)のスタンスで仕事に取り組んでいれば、仕事で成果を出せなかったり、失敗してもメンタルコントロールが容易であり、潰れたり精神不安定となる事は軽減できるそうだ。

正直、自分にプレッシャーを掛けながら生きている、どちらかと言えば”M系”の自分にとっては共感できない部分もあった。

但し、イチローがスペシャルな存在である事には変わりない。確かにかなりのプレッシャーを自分自身にかけながら継続的に成果をあげる事が出来る人間は比率的にも少ない。又、結果が思う様に出来なかったら煙に巻いて誤魔化してプレッシャーからリリースされる人も多くみる。格好が良いものではない。

詳しくは、高杉氏の書いたこの本を見ると分かる。仕事への取り組み方が多少変るかもしれない。(先週読み直したが1時間掛からなかった)


実践・プレッシャー管理のセオリー ~ビジネスパーソン必修 メンタル・タフネス強化のセルフ・コーチング術 実践・プレッシャー管理のセオリー ~ビジネスパーソン必修 メンタル・タフネス強化のセルフ・コーチング術
高杉 尚孝 (2004/02/26)
NHK出版

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子供と学んだ事
親として子供に接していると、色々な事を子供から学べる。実際に自分が普段 ”当たり前”との概念で深くは考えない事を色々と調べたりする。好奇心旺盛の3歳児なので真面目に答えていたら疲れるが嘘もいけないのでついつい調べてしまう(汗)

又、なんとなく大人の視線から子供の視線になれた気になることがある。普段何気なく見ている映画、聞いている音楽も異なって聞こえる。又、自分が子供の際に見た時とは判断基準が複雑化しているので異なった見方が出来る。

AA)語学能力
幼児の際は間違いなく耳から覚えている。僕は今まで日本人は読み書きが始めだと、何の根拠も無く困っていたが 娘が1~10の数字を書けないにもかかわらず声に出して全て発音出来る(と言ってもジョンブラウンのおじさんの歌を全て覚えている。)


BB)オズの魔法使い

オズの魔法使い オズの魔法使い
レイ・ボルジャー、ジャック・ヘイリー 他 (2006/12/14)
ファーストトレーディング

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希望に加えて、”考える力”と”熱意”と”勇気”を持てば願いが叶うとの話だ。この映画が作成されたのは、丁度、米国が世界恐慌の影響で不況の時代である。この映画が多くの人を元気付けたと米国の友人から聞いている。これって仕事で苦しい時もそうだと思った。映画の中では希望やら考える力やらを、それぞれ異なる人が演じている。仕事も同じだろう。但し、日本人的な集団行動ではなく、それぞれのメンバーの役割が明確である欧米式のチームワークと同じといえる。


CC)おかあさんといっしょ

NHKおかあさんといっしょ 最新ソングブック いっしょにつくったら NHKおかあさんといっしょ 最新ソングブック いっしょにつくったら
今井ゆうぞう、はいだしょうこ 他 (2006/04/19)
ポニーキャニオン

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新しいビジネスを立ち上げる人にはピッタリの歌だ。要は色々な色があり色々な箱がある。この2つが出会えば色々なものが出来るという歌詞だ。非常に身近なものなのだが、すばらしいアイデアで新ビジネスが出来上がる事を想像しながら聴いてみると面白い。


DD) アンパンマンの歌

アンパンマンのマーチ アンパンマンのマーチ
やなせ たかし、東京ムービー 他 (2002/01)
フレーベル館

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幼稚園児対象の漫画の主題歌でいるのに非常にすばらしい内容の歌詞であり、思うにアンパンマンを一緒に見ているお母さん達に向けたメッセージでも有るように思えた。

正直、イトーヨーカドーのおもちゃ売り場で数分足が止まりDVDでテレビ画面を通して流れるこの曲を聞き入ってしまった。

あまりにも感動した歌詞なので貼り付けます。

QOT

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも
そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる
光る星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

UNQOT


/END
経営と会計(京セラ名誉会長 稲盛和夫さん)
稲盛和夫の実学―経営と会計 稲盛和夫の実学―経営と会計
稲盛 和夫 (2000/11/07)
日本経済新聞社

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以前読み終えていた本をサッと読み流した。
不思議なもので一度読んだ本は思いの他早く読める。

改めて経営において大切なものを再認識させられた。

キーワードとしては、

:会計、税務等財務関連の知識は良い経営と密接に関連する。
:社会主義的な正義(倫理観)を前提に資本主義社会がある。
:社会的リーダーは正しい倫理・哲学を持ち、政治・行政・経営を実践すべきだ。
:公明正大な経営、つまり土俵の真ん中で勝負をしていれば土壇場でも踏ん張れる。(逆に土俵際で相撲を取っているとリスク管理が徹底しない)
:常識に支配されない判断基準を持つことが成長への一歩である。





世界No.1の成功法則
スタンフォード大学で生まれた世界No.1の成功法則 スタンフォード大学で生まれた世界No.1の成功法則
浜田 貞雄 (2004/09)
総合法令出版

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今日は台風の影響で一日中雨。。。娘と一緒に目の前のアリオの室内遊び場に行った。暇を弄ばない様に過去に読んだことのある本を持参して行った。

その中の一冊がこの本。アマゾンから購入したので最初はビジネス本かと思ったがどちらかというと体育会系のコーチング的な本だった。

著者は日本体育大学卒業後に渡米しスタンフォード大学の体操部をNCAAで3度優勝させ、タイガーウッズがスタンフォード在籍中にゴルフも教えたとか。。。バルセロナ・オリンピックのコーチ(日本ではなくアメリカのコーチだ)もやったというコーチングに関しては非常にプロフェッショナルな方である。

実は、自分が在籍している会社も商社の性か非常に体育会系な人が多く組織自身も縦横の関係は明確である。そんなビジネス環境に居る自分としてもスポーツも仕事もコーチングは非常に共通していることが実感できた。

何事も5つのステップの繰り返しであると筆者は執拗に述べている。つまり、GOAL(目標設定),STRATEGY(戦略設定),EXECUTION(実行),RESULT(結果),EVALUATION(反省)を繰り返し行う事が成功への鍵らしい。

僕は普段から”STARメソッド”を心がけている。これは留学準備の際にカウンセラー及びネイティブの英語教師から口うるさく叩き込まれたメソッドであり、文章を書く際も仕事を行う際も、自分の人生(キャリア・パス)を考える際も適用している。MBA受験のインタビューの際はこのメソッドが大いに役立った。

”STAR”という文字は別に有名人のスターでもなく、空にある星でもない。はそれぞれ単語の頭文字を組み合わせたもので、SITUATION, TASK, ACTION, RESULTの4つのステップを簡略化している。状況(SITUATION)をしっかりと把握し、自分のやるべきこと(TASK)を認識し、それを行動に移し(ACTION)そして結果(RESULT)を出す。それで又状況把握に戻り、前回との変化を検討し、次のTASK,ACTIONと続く。。。

筆者の5つのステップも、僕の4つのステップも同じ事を言っていると勝手に解釈した。

スタンフォード大学出身者のエピソードも取り入れながら非常に読みやすい本となっている。例えば、ゴルフのトム・ワトソン、テニスのジョン・マッケンロー、ヒューレッド・パッカードの生みの親であるビル・ヒューレッドとデービッド・パッカード、ヤフーの創業者であるジェリー・ヤン、世界的ベストセラーとなった”VISIONARY COMPANY"の著者であるトム・ピータース、ナイキの創業者であるフィル・ナイト等である。

失敗を恐れずに自分の信じたことをやろう!との気にさせてくれる本であった。

そう言えば、MLBで活躍している岩村選手は渡米した際のインタビューでこう言っていた”NO PAIN NO GAIN”(要は、何苦楚魂。噂では清原が岩村に教えたらしい)とても体育会チックであるが、言う人が言うと心に重くのしかかる非常に良い言葉だ。
黒毛和牛
海外出張が多いと日本食が恋しくなる。友人との会話の中で”K2は良いよなぁ~、海外出張ばかりで”とよく言われる。

確かに”海外”とは聞こえが良い。年間を通して考えると日本で過ごす事の方が少ない。若い時は、ミャンマーとかベトナムとかマレーシアに張り付き問題のシューティングをしなければならないので長期出張が多かった。

但し、上記の様な質問をされる度に自分としては、”日本の良さを分かっていない。特に日本人の我々にとっては日本は特別な場所だ。飯が世界一美味しい日本で、出来れば海外なんか行かずに日本で仕事をして家族と楽しい時間を過ごしたい”と心の中で叫んでいた。


そんな日本では金を出せば美味しいものが食べれる。近頃は高価だったものでも手頃な値段で楽しめる様になっている。で、最近(一昨日)スペシャルな料理を味わえる至福の時間を過ごすことができた。

入社以来12年以上お世話になっているエンジニアリング会社の宮本社長がオーナーとして経営しているレストランで黒毛和牛を堪能できる横浜・関内の古窯(URL:http://www.hotpepper.jp/A_20100/strJ000025865.html) に招待された。

前菜はくじら汁、レバーの燻製等と一緒に魚介類が出てくる。何とも焼酎とよく合う前菜だった。その後、焼き物が数点出て、メインの和牛だ。

これが最高。と言うか言葉にならない。今でも想像すると胃液が止まらないくらい凄い。どうやら和牛にもランクがあるようで、このレストランはA5ランクしか出さないらしい(後で調べたがA5を取り扱える店は許可書が必要であり希少価値があるらしい)但し、かなり手頃な値段で食べさせてもらえる。比較論であるが、以前行った事のある有名店”築地・さとう”と互角の和牛であるが値段が全然違う。見た目では脂分がほぼ無いない肉なのに口の中でとろけて広がる。それでいて、脂分による満腹感を感じさせずに食が進む。なんとも贅沢なお肉である。

みなとみらいにオフィスを構えるM重工の方にもお店を紹介したが”病み付き”になっているとの話である。確かに東京の人にはアクセスが辛いが和牛の質から考えれば、リーズナブルな値段で最高級和牛が堪能できる。又、ソムリエも抱えておりその日の気分によってお勧めのお酒を頼むことも可能だ。どうやらフランス料理店出身者や沖縄料理出身者等異なるバックグラウンドを持っているシェフを集めており、その中で新しく美味しく面白い料理が生まれてくるようである。まさに五感を使って食事を堪能させてくれた。

店長の黒澤さん(URL: http://www.kannai-koyou.com/intro.html)が言っていたが、横浜球場が近いだけにプロ野球選手も顔を出すとか。。。最近では、アニキ(金本)が来たらしい。首にワッカをつけているだけの人だと思っていたら鼻にワッカがついている和牛にも興味があるらしい。。。

〆はピーチのリキュールで香りをつけたスイカのシャーベットだった。氷が細かく削られているので体に吸い込まれるように吸収された。あまりにも美味しかったので(通常であればありえないが)”お替り”を頂いてしまった。

食事の後に店長の黒澤さん、シェフの石黒さん、ウェイターの関本さんと近くのバーで飲んだ。店のモットーは”客を満足させること”だそうだ。利益を先ず追求せずに来てくださる客を満足させ口コミで客数を挙げるか、もしくは、リピーターを増やす事で売上げがあがって来るらしい。但し、古い客から苦情が出ない為にも価格は上げずに経営するらしい。確かに前回来た1年半前と比べると確実に客足が増えている事は入店した際に感じた。

僕はこれからアメリカに行く。牛肉はとても分厚いのが食べれるだろう。しかし、このきめ細かい和牛の美味しさを堪能できるのは当分お預けである。帰国後にも是非とも訪れたい店だ。しかし、その際は予約でなかなか席が取れないのではと懸念する。

宮本さん、ご馳走様でした。



佐賀のがばいばあちゃん
佐賀のがばいばあちゃん 佐賀のがばいばあちゃん
島田 洋七 (2004/01)
徳間書店

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物に満たされた環境に育った自分たちの世代とは異なり、戦争を経験した2世代前の方々の生活の知恵や物事の考え方を学べた。また、著者が島田洋七だけあって非常に読みやすくまとめていた。結局、彼は、僕の笑いを誘い、しまいには涙までさらわれた。

この本を読んでいて脳裏をよぎったのは祖母(父方)である。入籍前にフィアンセを連れて両親の田舎である大分県を訪問したので顔を見せることはできたのだが、僕の娘を見せることなく、僕が入籍した後すぐの2003年の夏の終わりに他界した。93歳の大往生だった。

祖母は、大分県に生を受けて、大分県に骨をうずめた。旦那(祖父)が医師として戦場に派遣され戦場にて病を患い日本帰国と同時にこの世を去ったらしい。幸いに家族に囲まれての他界であったが、当時、私の父親は小学校1年生と幼少であり、祖母は5人の子供を女手ひとつで育て昭和の激動の時代を乗り切った。戦後は非常に貧しく毎日食べるものを心配しながら、なんとか生きていたとの事だ。確かに僕の父親は頭脳明晰であったが学校に行く金が無かったので高校に行く事は出来なかったらしい。結局、父親のみならず僕の伯父や伯母が頑張った事もあり困ることの無い生活が出来るようになった。祖母は、他界する直前まで、タバコと酒を愛する豪快さもあった。

僕が大学生時代にベストセラーになった”清貧の思想 ”を思い出した。今思えば、丁度バブル絶頂の際の本だろうか? 久しぶりに読み直してみようかと思う。
親友の結婚式
07年07月07日の友人の結婚式、結婚披露宴は無事に終了した。結婚披露宴は新宿のパークハイアットホテルで行われた。場所も良し、料理も良し(”旨い”を超えて”ヤバイ”領域の料理でした。)、おいしい酒も飲めた。

新婦も美しく親友のKも幸せそうだった。しかし、最後の最後まで新婦が何者なのか完全に理解できなかった。知人スピーチで堺屋太一が登場するは(つい最近、彼が書いた"日本を創った12人"を読んだだけに興奮した。が、スピーチ内容は今一のようなぁ。。。)大学時代はシカゴで過ごした帰国子女だとか、料理に興味がありフランスの有名な料理学校に通い今は自分で料理学校を経営しているだの。。。

いずれにせよ、共に34歳の男女がやっと本当の愛(人生のパートナー)と出会えて本当に幸せそうだったので深くは考えないこととして素直に祝福した。

久しぶりに教会「コリントの信徒への手紙」の内容に触れた。いつ見ても愛の大切さを知り、日頃の自分の行動に反省。。。。

日本人である自分としては信仰心が深くない事は仕方が無いものの、ここで書かれている道徳の心得は重くのしかかる。”良いところどり文化”の日本同様に、ヨーロッパ社会でも信じる宗教の無い人が増えているらしい。結婚式に出席したスイス帰りの親友から教えてもらった。

道徳心は生活の中から学ぶのが日本人であったが、この年になると中々改善する場も無く、改善する気持ちも無い。これは好ましくない。毎週 教会に通ってみようだろうか?渡米後にキャンパス内にある教会に足を運んでみようと誓った。

「コリントの信徒への手紙」からの抜粋。

QOT

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失わせず、自分の利益を求めず、
いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてに耐える。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、
この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは愛である。

UNQOT

七夕との思い出
織姫と彦星は1年に1回だけ天の川を隔てて会うことが許されていると言う。幼い頃から笹の葉に願い事を書いた短冊を掛けて祈ったものだ。

どうやら、七夕は日本固有の行事だと。元々は中国から伝来して広まった”織女星(しゅくじょ)”と”牽牛星(けんぎゅうせい)”の伝説と、芸能の上達を祈願する中国の習俗である乞巧奠(きっこうでん)を日本人がが結びつけた事から始まったようだ。

実は、本日7月7日は、我が家のANNIVERSARYである。入籍から4年が経ったらしい。非常に長いようで短い4年だった。

思い返せば色々な事があった。結婚式を4年前の10月に挙げて、12月に新婚旅行でモルディブに10日程滞在、翌年2004年の7月9日には娘が誕生、2005年4月には立上げから担当していたブルネイでの大型プロジェクトを受注。何も無かった熱帯雨林の更地に今は立派な発電所が建っている。そして、今年始めにビジネススクール合格。同時に、長い間お世話になり自分を国際ビジネスマンとしてここまで育ててくれた総合商社から退職する決意もした。

中学生~大学生の時に、両親も含めて年配の方々から”年取る毎に1年が短くなる。だから学生のうちに思いっきりやりたいことはやったほうが良い”と口すっぱく言われていた。確かに思い返せば実感のこもった言葉だった。まだ学生で人生経験が浅く、非常にもったいない時間の使い方をしていた自分には”大人の方が金持っていて、やりたいことをやり、行きたい場所に行け、高給な食事も出来る。お酒も飲めるし、楽しい事ばかり。それに比べて貧乏学生の自分は。。。”と全く年配の人の言う事を理解しておらず、又、理解しようとも思っていなかった。

今年の7月7日は特別だ。僕が結婚式を挙げた10月25日が誕生日である高校時代(付属なので大学も一緒だが)の同級生が結婚する。彼は水泳部僕は柔道部のキャプテンでよくつるんでいた。どうやら水泳という恋人から脱して、やっと本当の愛を見つけたらしい。笑えるのが彼とは年間を通して記念日が2回もダブる。

又、高校、大学(学部学科まで同じ)、会社(部門、部署、所属する課まで同じ)と気持ち悪いくらい経歴の同じ5つ年上の先輩も今年7月7日に結婚式を挙げる。これまた奇遇である。

2007年7月7日 う~ん 綺麗に7が並んでいる。

中国の暦の上では、今年は”金豚の年” 60年に1度しか訪れない特別な年だ。韓国でも同じくメデタイ年らしいが、こちらは600年に1度の特別な年らしい。両国に共通しているのは”子沢山の年”中国や韓国でも昨年もしくは今年の始めのうちに結婚して今年中に子供を出産すると幸せになれるとの言い伝えがあるらしい。

明日は早朝から上智大学(新婦の卒業校)で親友の結婚式に出席して披露宴で多くの旧友と新郎新婦を祝い、夕方からは愛娘が通うプレスクールの七夕祭りだ。

久しぶりに短冊に”自分の願い”を書いて童心に戻って何か祈ってみようと思う。



こうすれば受かるMBA 2007
遅くに昼寝をした性か夜中にパッチリ目が覚めた。睡魔は全く訪れない。。。時計を見たら夜の12時。まだまだ宵の口である。作業時間を3時間くらいと想定、明日は月曜日だが4時間は寝れる。そんな事を考えながら以前から中途半端な状態にしていたホームページのアップデートをする事とした。

ホームページと言っても個人のものではなく、勉強仲間を始め 今年から海外に留学する仲間と共に立ち上げたこうすれば受かるMBA”シリーズだ。僕達がまだアプリカントで留学を夢見て勉強に励んでいた際に情報源として使っていたサイトだ。合格を勝ち取った先輩達の情報が盛り沢山。先輩方1人1人が丁寧に情報開示をしてくれている。

今勤めている商社の大先輩で(今は米国コングロマリットで日本担当ダイレクターをやっているが)、新入社員時代に厳しく監督してもらったケロッグに留学した先輩も数年前に執筆をしていた。”毎年合格者が後輩アプリカントに書き続けている。2007年版は我々が担当であり、小生が執筆者代表となった。(URL: http://sky.geocities.jp/kousurebaukaru2007_owner/)

執筆者代表をやっており全ての執筆者の文章を念入りに見ているから特に気付くのだが、素晴らしいバックグラウンドを持ち、且つ、素晴らしいビジョンを持った人が多く居る。今迄担当していた業界とは全く異なった分野で同年代とは思えない活躍をしている人も居る。狭き門を潜り留学を手にした人達ばかりなので当たり前な事ではあるのだが 理解の度合いを超えている輩も多い(笑) 実際に最近行われているMBA合格者を招待する六本木ヒルズや恵比寿タワーにオフィスを構えている外資系企業の催し物(レセプションやパーティー)や、最近大物ゲストを呼べるところまで成長した有志の団体である”MBA友の会”のイベントで会う機会が多々あるが、頭脳明晰だけでなくバイタリティーも凄い。おじさんモードに入りかけの自分にとっては非常に刺激的である。

結局明け方までPCと睨み合いながら、かなり満足がいく内容まで仕上がった。去年は当たり前の様に(仕事が終わった夜中から)朝方まで勉強していたが、久しぶりの夜更かしだった。

来年になって”こうすれば受かるMBAのおかげで合格できました”との声が沢山聞ければうれしい。是非ともそうなる事を願いたい。
明日への記憶
明日の記憶 明日の記憶
荻原 浩 (2004/10/20)
光文社

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BBQ パーティーを終えてリビングの床で死ぬように寝ていた。テレビの音で21時30分くらいに起きる。一年位前にシンガポール行JALの中で見た映画が放映されていた。

仕事の出来るバリバリな仕事人間である広告代理店の部長(渡辺謙)が、突然の若年性アルツハイマーにより人生が一変する話である。

仕事人間である主人公は、医師に重病と言われても、それを信じようとせずに仕事を続ける。が、気持ちとは裏腹に病状は日々悪化し、仕事でもヘマばかり。。。結局、上司からの優しさで ロードの重くない庶務課へ異動。その後しばらくして退社を志願する。家には寝る為だけの帰るスーパーサラリーマンだった主人公が1日の殆どを家の中で過ごす生活に一変。それに伴い、今迄仕事一本であった自分に気付くと共に、家庭で夫の帰りを待つ妻や娘の気持ちに触れられる。

専業主婦(樋口可南子)として、夫(主人公)のサポートを殆ど受けずに娘を育てきた。かなり不満もあっただろう。しかし、突然に重病になった夫の世話を見て、家計を支える為にも慣れないバイトを始める。段々と支離滅裂な言動となる夫を優しく包む。だが、この辛い現状に負けないように夫の居ない所で泣く日々。。。

結末は非常に感動的な内容で終わる。涙なくして見れない内容だ。夫婦愛を考えさせられる場面である。又、東京と言う大都会にてスローではない生活とは何なのか考えさせられる。僕ら商社マンもそうだが、”仕事が忙しい”やら”会社の付き合いだから”を理由に家庭をあまり顧みない人間にとって、”家庭と仕事のバランス”を考えさせられる映画である。深く反省。。。





BBQパーティー
昨日、会社の仲間を呼んでBBQパーティーをやりました。今住んでいるマンションが保有しているパーティールームとBBQ施設を使ってのパーティーでした。

毎年春に、限定販売の甕雫1升を会社の仲間と飲み干すイベントを行っていたが、今年は留学関連の準備でバタバタしていたので7月の開催となった。痛いくらい太陽光線が強くVery Very Sunny Dayな恵まれた環境でのパーティーでした。

肉を焼く際の炭の匂い、網の上で焼かれるこんがりと焼けたトウモロコシ、焼肉やで食べたら相当値段の張る特上カルビ、仲間と炎天下で飲むビールや焼酎の旨さ、最高でした。

結局、12時から準備を始めて夜18時まで楽しみ酔っ払いながら皆さんは帰宅。愛娘も沢山の人が来たので興奮したのか昼寝無しで頑張っていた。流石に17時くらいから電池切れ状態で皆んなが帰路に着いたらコテンと寝てしまった。

退職前に会社の仲間と、とても有意義な時間が過ごせた。送別会は今月中に多く計画されているが、リラックスした状態で皆んなと楽しみながら食を楽しめるのは今日が最後だろうと思う。

留学前に また1ページ 楽しい思い出を作ることが出来た。
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