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STANFORD GSB留学記
西海岸のエスタブリッシュメントの中で過ごし得る知見や身の回りで起こる出来事を読者と共有していきたい。授業内容、クラブ活動、シリコンバレーのコミュニティー、等盛り沢山の内容を掲載します。
インテル本社訪問
”インテル、ハイッテル”のコマーシャルで有名なインテル本社を訪問した。冬学期に選択科目として取っている"Technology Concept for managers"のクラスの一環での訪問。車で15分ほどの場所にある。

社名のIntelは"Integrated Electronics"の短縮形らしい。デザインとプロセスをインテグレートした技術に秀でておりDRAM(主記憶装置)やマイクロプロセッサーを開発して、IT業界をリードしていった。DRAM市場が過剰となり日本企業が安価で高性能のDRAMでプレーヤーの地図を変えようとした際に、インテルは(市場でのシェアが数パーセントとなっても)DRAM事業から撤退出来ず、将来性があると言われていたマイクロプロセッサーへ社内のリソースを転換する決断をするのに数年を要した。最終的には、トップダウンの美しい形でなく、ボトムアップの圧力での決断した。

今だから言えるのかもしれないが、マイクロプロセッサーで儲けているインテルを考えると上記のような簡単な決断に時間を要した事は理解に苦しむが、パソコンや携帯電話が普及していなかった20年前であれば考えられるシチュエーションだったのかもしれない。DRAMを発明し技術水準の高さを誇った会社が後発の日本企業に負かされ、再度市場を独占したいとの気持ちは理解できないわけでもない。いずれにせよ、明確な決断をしてインテルをマイクロプロセッサーで成り立つ会社にした当時CEOのアンディー・グローブは今でもインテルのヒーロであり、今回の訪問時も彼の写真入りの本が見受けられた。環境が整って決断をしただけのCEOにしか思えない自分としてはアンディー・グローブのすばらしさの理解が難しい。

インテルに関しては多くの人がケースを書いているが、僕の関心はマイクロプロセッサーの開発に関してである。インテルが1971年にIntel4004を世に送り出したが、実はこの製品の開発は日本計算機販売(後のビジコン)の日本人社員がインテルと共同開発で成し遂げた偉業だとの事である。

1960年代に電卓開発で競合している環境から(後にIntel4004となる)チップの発想が生まれたらしい。ビジコン社員が自らの発想を実現しようと日本の主要LSIメーカーを回ったものの、ポジティブな回答をしてくれる会社は無く、仕方なくアメリカに飛び1969年に創業したばかりのインテルを訪問した。インテルの技術者が高い評価をして、共同設計に着手したとの話である。こうして、1971年世界初のマイクロプロセッサ『Intel4004』が誕生したとの事である。

幸いな事に、ビジコン社員はインテルの社員となったらしいのですが、日本企業は大切なアイデアを大きなビジネスにするチャンスを逃したようです。。。。

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上記の事実を知りインテル本社を訪問しただけに複雑な気持ちだった。カリフォルニアのサンタクララ、つまりはシリコンバレーの心臓部に広大な土地の本社を構え、世界中の誰もが知っている世界最大の多国籍半導体メーカーのインテル。パソコン、携帯電話、カーナビ等、我々の生活に欠かせない製品に当たり前のようにインテルが入ってる。”もし、ビジコンが日本企業と共にマイクロプロセッサーを開発していれば。。。”は有り得ないが、もしもが本当だったらとタラレバ的な考えが頭から離れない一日でした。

ちなみに、アメリカでのインテルのコマーシャルは"Intel Inside ! "らしく日本のコマーシャルはほぼ直訳しているだけのようです。語頭をそろえるか、語尾で韻をふむかの違いはあるようですが
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